自分を観て、逃れる。

私、変わったなあ、と思うことがある。

前までは、「気が乗らない」「どっちでもいいけど、行ったほうがいい気がする(あらゆる意味で)」集まりに参加するようにしていた。ほぼ義務感で。
しかも、そんな自分を「エライ!」と褒めていた。

でも、それで得たものって「無駄な疲労感」しかなかった気がする。
帰り道で楽しかったなーと思ったことは、皆無に近かったような(覚えてないだけかも)。

それが、いつのまにか断れるようになった。
「悪いなー」と思うこともなく。

まず、一度、自分に聞いてみる。と言うよりは「観る」に近い感覚。
すると、わりとすぐに答えが出る。
それに倣うだけ。

逃げる、じゃなくて、逃れる。

自分を大事にしていることを感じられて、じんわり温かい気持ちになれる。
他のことでも「観る」ようにしたら、断然ラクになった。

「自分を観る」って、あなどれない。

2件のコメント

  1. 世阿弥さんは
    離見の見、遠く離れた所から自分を見つめることが大切だと言ってましたね。

    1. 世阿弥さん、流石ですね。
      「遠く離れた所から自分を見つめる」って「俯瞰する」ことですよね。
      なかなか難しい時もありますが、できるとラクになりますね。

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